今日の講義のメインタイトルは私たちが唱える「南無大師遍照金剛」(空海・弘法大師についていきます。信じています)でした。しかし、私は元来個人崇拝は仏教にはそぐわないと思っています。空海を崇拝するのではなく、空海の説いた教えが好きなのであって、目指すのは空海が目ざしたもの、ひいては釈迦が目指した「いつ、どんなことがあっても、心がおだやかでいられる境地」だと思うのです。ジョンレノンを崇拝するのではなく、ジョンが目指していたものを目指すのです。そのあたりについては、森鴎外が『寒山拾得』の中で的確に述べてくれているので、明日ご紹介します。
和尚ブログ ほうげん日記
2016年02月08日