今日は四十九日の法要が二つあった。密蔵院のある鹿骨(ししぼね)あたりでは、「立ち日」と言う。ここから先はついていけないという日だ。私は四十九日を拝む時、いつも「見送り」の情景を思いだす。見送られるほうも心細いだろうが、そこは仏さまがついていてくれるので、まあ安心していい。問題は見送った方だ。相手は機上の、船上の、車中の人になるが、送った方は家まで寂しく帰らなければならない。しかし、家に近づく頃「私は私でやるべきことがあるではないか」と思うようになる。まだ娑婆の世界に生きている自分もやるべきことがあると勇気を奮い立たせる日・・・それもまた四十九日、立ち日がきっかけになっていくのだと思う。
和尚ブログ ほうげん日記
2013年09月01日