いったい全体、何故(なにゆえ)におさね因縁の一襲(ひとかさね)の振袖が、お幾(いく)とお春(はる)の手元を巡ったかと言えば、寺は納めの品を払い者にさげていた。今で言えばリサイクル。最初のおさねの振袖は、葬式のあと呉服屋の手にわたり、その振袖を見たお幾が是非買ってほしいと強請(ねだ)った。お幾が亡くなって棺桶の上にかけた振袖は、ふたたび払い者の手に移り、今度は古着屋の店先につるされていた。それをお春がどうしても買ってくれと言ったという。
事情がわかって本妙寺の住職が言った。
「世には不思議なことがあることでございます。おそらくは、彦右衛門どのの娘御(むすめご)が上野五条天神さまの前で見た若衆は、通り魔の類(たぐい)でござりましょう。かくなる上は、この振袖に巣くう通り魔の陰気、明後日十八日の正午の刻限に焼き捨てます」
近頃では、通り魔と言えば、人間をさす言葉になっていますが、昔は〔通りすがりの家や出会った人に災害をあたえて、またたく間に通りすぎる魔物〕という意味。今でも辞書には、この意味が第一義として載っております。
通り魔に祟られた三人の娘の親たちの布施によって、この振袖焼き捨ての儀式が行われることとなりました。
この話がアッという間に江戸中に広がりまして、十八日の昼間、本郷丸山の本妙寺の境内は、恐いもの見たさの野次馬連がおしかけ、出店まで出るという、たいへんな人出でございます。
境内に井桁に積まれた松薪に点火されると、周囲を取りまく一山の坊さんが異口同音にありがたい経文を唱えはじめた。
お経の勢いが増してくると、本妙寺の住職がパッと振袖を放りこむ。
振袖に火が移ると、それを合図とするかのように、今まで良い天気だったのが、どこからでてきたのか真っ黒な雲がでてきて、太陽の光をさえぎってしまった。それを見ていた野次馬連。「やぁやぁ、なんだか面白い具合になってきやがったな」「本当だ。いよいよ化け物のお出ましか?ついでにゴロゴロピカッって具合になるかしらん」「お前は物を知らねぇ野郎だな。いいか、少しは化け物の気持ちにもなってみろ。ここへ親分が出てきてピカピカ光って、ゴロゴロ大音声(だいおんじょう)で騒いだんじゃ、どんな化け物だって睨(にら)みがきかねぇ。化け物が出るにしたって、出ようってもんがあるんだ。支度があるんだよ。だから黒雲を散財してつれてきて、お天道さまの頭へかぶしちまったんだ。でもな、あんまり怖いのが出てこられちゃ、今晩寝られねぇから、このくらいのところですこしだけ怪しい所を見せてほしいもんた」と、まったく勝手なことを言っている。
すると、本妙寺戌亥(いぬい)の方向から、一陣の旋風がピューッと吹きおこってきた。さあ、どうなる?この続きは、明日のお楽しみでございます。
