米寿で亡くなった檀家さん。義理の息子さんがこうつぶやいた。
「なんだか、仕事をこれ以上頑張らなくてもいいかな、と思うんですよ」
「娘の旦那として義父さんに、認められる張り合いがなくなっちゃいましたものね」と差し出がましく申し上げた。
で、あらためて思った。
「だれかのために、仕事をする。生きる」というのは、とてつもないパワーを引き出し、そしてまた持続させる力を持っているものだと。
仏教では、最初は「自分のため」の修行が、やがては利他行へと向わない駄目ヨと、昔から言われている。
「だれか」は多くの場合、恋人であったり、子供のためであったり、(おっと、女房も忘れてはいけねぇ)ごく近しい人のためだろう。それでいいと思う。
こうして考えると、「自分のため」だけに、働き、生きるのは、けっこうツライかもしれぬ。
人のためのほうが、自分の底力が発揮されるというのは、言い過ぎだろうか。

和尚ブログ ほうげん日記
2012年03月28日
