
「百姓」は、仏教語辞典ではこうある「もろもろの人民」。なるほどである。百の姓名ということだから、当然である。国語辞典では「ひゃくせい」で調べて出てくる言葉だが、括弧付きで(ひゃくしょう)とも。と書いてある。農民が多ければ、いつの間にか「百姓」が、農家を表すのようになるのは、自明の理かもしれぬ。おかげで、今日もご飯が美味しかった。
さて、今日は、原稿を資料なしで、書こうと思ったら、とんでもなかった。ぐははは。似たようなテーマを20項目書かねばならないのだが、細かいところがわからないと、書けないことはが判明したからである。古(いにしえ)の仏弟たちが私たちの心を分析したお経を読み解くのに、四苦八苦である。今日は一項目しか書けなかった。これまた、お楽しみに!
そう言えば、先のコメントをもとめられた「新訳 般若心経」の記事が掲載されている『週間ポスト』は今日から書店にならんでいるそうである。立ち読みするヨロシ。わはははは。
