頭仏(づた)である。サンスクリット語のドゥタの音写語。
もともと「ふるい落とす」という意味。仏教では、煩悩をふるい落とすこと全般をいいます。

今日は、今年最初の「読経の庭」。私をふくめて、煩悩が尽きない面々が本堂で20分の読経でございました。
明日は「写仏の庭」。筆一本で、仏とつながる二時間でございます。
気がついたら、私はこの一週間、怒濤の日々になることが、カレンダーに記されておりました。ぐははは。
この間、不特定多数の方々とお会いするほとんどありませんが、まあ、今は人生の中で、そういう時期なのだろうと、たかをくくっております。
今日は、次の本の原稿を編集の方に送って、さて明日はその次の本の打ち合わせ。また、寝る間もない日々を、自ら引き寄せるという生きざまに、これでいいのだろうかと思案しつつ、私の人生の中で、そういう時期なのだろうと、目の前の「いいこと」と思ったことに取り組まんとの心得でございます。
