野馬(やば)--「野生の馬」の意味もあるが、昔から「かげろう」のこと。仏教では「もろもろの事象に実体がない」たとえとして使われる言葉。

次々に状態が移り変わってしまうので、実体がないともいえるし、一瞬の間こそが実体に他ならないともいえる。
まあ、今の、今日の自分こそが、たよるべき存在なのだと思って、今日を生きていくわけです。
昨日は福島から帰って、大学の講義(ゲストスピーカーのようなものです)。19時20分に終えてから、出版社関係の方が多い、仲間うちの忘年会によばれて、食事とお酒を堪能。
今日の午前中はスカイツリーがドーンとそびえ立つ墨田区の小学校での講演会。きれいな、かわいいお母さんたちが多かった。少々鼻の下が伸びたかも知れぬ。ぐははは。我が身を振り返っても、まるで子供が子供をそだてているような時期だと思う。
そしてまた、そのころから「このままいくと、自分の将来はどんなものになるか」がおぼろげながら見えてくるころだろう。
野馬のような、浮かれた生き方ではなく、地に足のついた生き方についてお話させていただいた。
明日の法事の準備を終えて、今日は17時から、仏画の開眼供養に呼ばれている。代々あったお不動様の軸がボロボロになったので、当家の末娘が描いたお不動様の開眼だ。
なんで、夕方5時からなのだと思われるだろうが、「開眼のあとにその仏様を前にして一杯やろうよ」という施主の意向である。ぐははは。
