昨日「一生懸命に生きること」と「丁寧に生きること」について、書いた。
で、思い出したのだが、かつて「道徳と仏教の違いは?」との質問に対して、
「無人島では不要なのが道徳。無人島でも必要なのが仏教」という一つの答えがある。
無人島を出世間と考えれば、仏教の土台も世間の価値観を越えたところにあるから至極もっともな答えだと思う。

上記は、20代の頃に聞いた話であり、そのまま得心して、以後たいした考察も加えぬまま今にいたっている。
肩書や損得や金持ちだの貧乏だのは、無人島では何の役にもたたぬ。
なぜなら、自分よりほかに人がいないからである。素っ裸でも、オナラをどこでしようが、だれかに迷惑をかけようがない。
そこでは、食べ物を与えてくれる自然に感謝し、自分の心の中を散策するくらいしか、やることがない。
まさに、個人レベルでの生き方しか問題にならない世界である。
仏教もこうした考え方が土台になっていると思う。
悩みや苦しみがあったら、何に悩み、苦しんでいるのかを掘りさげるといい。社会の中でしか問題にならないことで悩み、苦しんでいるのなら、もっと掘りさげるのだ。
つまり自分の心の問題になるまで掘りさげるのだ。
そこで得られた気づきは、無人島にいても、毎日楽しく生きてゆける糧となるはずである。
私は、自分が無人島にいても丁寧な生き方をしたいと思う。
