「封印を解く」などと言えば大仰に聞こえるだろう。
私が他のお寺で話を初めてしたのは25歳の時だった。
20分の話を頼まれて、原稿を書いて暗記したのはいいけれど、早口になって13分で終わってしまって、お寺さんに申し訳ない気持ちでアタフタしながら控室へ戻った記憶がある(その原稿はいまだにある)。考えてみれば真面目だった。うははは。
28歳でご詠歌の一応の先生になった。
父はご詠歌や和讃の作詩作曲を数十曲も手がけていた大先輩である。
その父が私にこう言った。
「お前ね、他のお寺から法話を頼まれた時に、ご詠歌だけはやっちゃ駄目だぞ」
私にしてみれば、ご詠歌なら45分くらい時間を使えるだろうと思っていた。話だけではとてもそうはいかぬ。
つまり、得意手を禁じられたのだ。
以来25年。今日、自らその禁じ手を解禁した。封印を解いたのだ。

それも、私のご詠歌の先生のお寺での法話でである。10年以上毎年お話をさせていただいているお寺だ。
籠の鳥が大空に羽ばたいたような気がした。
小さな水槽にいた魚が大海に放たれたような気がした。
そうは行っても、この先も、時を知り、場所を知り、人を知って、その時、その場、聞く人に適当だと、自分の心がうなづいた時にしか、ご詠歌については話すことはないだろうと思う。
