
「引きこもりからの脱出」というセミナーを受講して帰宅したら、FAXが入っていた。
4月1日から、車で3分のところにある都営の火葬場で、震災の犠牲者の火葬をする。本当は昨日からのはずだったが、延期されて4月1日からになった。その間、一般の火葬は受け付けない体制である。
それに関してのFAXだった。
火葬される方のために読経をすることになっているのだが、妙に「本尊」や「神」が異なる宗教があるから、火葬場の敷地に入ることは許されない。
そこで、いついつは○○宗で、現地のお坊さんが拝めないぶん、せめて入り口で読経をしましょうというのだ。
私は、密蔵院で毎日拝んでいる。家内に上記のFAXについて、いかがなものかと尋ねたら「ご遺族のことを考えたら、東京のお坊さんたちが荼毘にふされる場所でお経をあげてくれた、というだけでありがたいでしょう」と言った。
なるほど、一理ある。
現地のお坊さんの代わりに、そして、ご遺族の安心(あんじん)のためになら、拝もうと思う(亡き人のためには毎日拝んでいるから心配はしていない)。
坊主は坊主で「社会性」を越えた立場がある。そういう思考回路をたもつ訓練をしてんいるからこそ、皆さんががんじがらめになっている社会観とは異なった提言ができるのだ。いわばなんでも反対するような無責任な反社会性でなく、超社会性だと思う。
