
「だれも私の気持ちを分かってくれない・・・そう思っている私は、いったいどれだけ人のことをわかろうとしているだろう・・・」
--これも村上アナが言ってくれた言葉です。
具体的には、以下のような話でした。
思春期の女の子が周囲に対して「だれも私の気持ちなんか分かってくれない」とボソッと言う。でも、思春期を迎えた女の子が何か悩み、でもそれを打ち明けてくれない、そんな彼女にどう対応していいのかわからない・・とオロオロと、悶々としている周囲の人たちのことなんかわかろうとなんかしちゃいないんです。
私たちは、自分のことを分かってくれないと思うことは多いですが、それ以上に、それじゃ自分はいったいどれだけ人のことをわかろうとしているだろうって思う心の余裕を持っていないてといけません。
村上さんのたとえ話は、十代の女の子の例だったが、これは思春期の女の子にだけ当てはまるものではない。
被災者の方々もそんな場合もあるだろう、被災していないけれどいままで通りに生活をしている中にもそんなことを思いたくなる場合はゴマンとある。
女の子だけではない。大人だって、母親だって、父親だって、妻だって、夫だって、上司だって、部下だって、坊主だって、
人の心をわかろうとしないで、自分の気持ちだけ分かってもらいたいと、じつにワガママな感情をいだくものだ。そんなものである。
---「そんなもの」だが、そのままにしないで、まず人の心をわかろうとする心の余裕があると、人生は、ずっとずっとでっかく広がっていく。人間に生まれた妙とはこういうことだろうと思う。
今日、娘が石巻へ向った。どれだけ心がでっかくなって帰ってくるか、楽しみである。ボランティアなのに、自分の分の水を四リットルしか持っていかなかったことは気になるけれど。ぐはははは。
