年末にお葬式があった。亡くなったのは、昭和30年代から東京でクリーニング屋さんを開業して、昭和40年代から密蔵院のある鹿骨(シシボネ)で開業。子供たちの自転車のパンクも修理してくれる人気者の洗濯屋さんだった。
戒名をお付けする時に、その仕事の字を一字いれたいと思った。クリーニング屋さんは、人の洋服を綺麗にして、それを着た人は、心も洗濯されたような気になったという意味で素敵な仕事だと思うし、仏教徒としての名前としても「クリーニング」という意味は充分通じると思ったからだ。
で、調べてみて驚いた。
「洗濯」の「洗」は、細かいところに水を流して綺麗にするという意味の漢字なのだ。
一方、「洗濯」の「濯」は、布を水につけたり、あげたりして汚れを落としてきれいにする意味の漢字なのである。ジャブジャブというのはこちらの意味だろうと思う(結果的に戒名には「濯」の字をつかわせていただいた)。
「洗」も「濯」も、心(仏教語では意)をつければ、充分人生の目標足り得るなというのが、去年末から今年にかけて私の頭から離れない想いなのだ。
今年、どこまで、心を洗い、意を濯(たく)すことができるだろと、元旦から少しウキウキしている。
今年も、ふつつかながら、なるべく毎日、坊主として思うことや、気がついたことをハチャハチャな文章で綴ってまいる所存。どうぞ、おつきあいくださいませ。