
「お前ね、俺だって大変なんだよ!」
「何を言ってるの。私だって苦労してるのよ!」
べつに「あなたは頑張っていない」と面と向って言われているわけではないのに、「自分だけが苦労している」ようなことを、あるいは「自分だけが努力している」ようなことを言われると、つい応酬したくなるのが人間の常だ。
普通は、上記のように言い合ったあとで一人になった時、
①「まったく自分だけ苦労しているような言い方しやがって」と怒りの矛先が相手に向けられる。
そして、やがて
②「なるほど、いわれてみれば、あいつも苦労しているのだな」と相手のことをやさしく思う。
そして、ついに
③「まあ、私は自分がやるべきことをやっているのだから、それはそれでいいのだな」と納得して、愚痴を言わなくなる。
これを懲りずに何十回もやってくると、
自分のやっていることを相手が認めていないのではないか・・・と恨めしく思った次の瞬間に、
「では私は相手のことをどれだけ理解し、認めようとしているだろう・・・」と思えるようになる。
そして自分のことは放っておいて、相手にだけ「お前さん、よくやってるね」と言えるようになる。
これが、「貫祿」ってぇもんだ。 「修行」ってもんだ。「智恵」ってもんだ。わはははは。
さっき、玄関で仏具業者の人と「子育てと仕事」の話をしていて、そんなことを思った。
