
写真は、先週登った山の頂上にある池に映った空と雲である。
さかさに移っているから「そら」ではなく「らそ」であり、
「くも」はなく「もく」かもしれぬ。ぐははは。
そのまま上をみても、綺麗な空と雲だった。
しかし、池に映ったその景色は、上空を見上げて見た景色に、波もない静かな池というプラスが相まって、綺麗さが倍増しているような気もする。
もちろん、上空の素晴らしい景色が、池という邪魔者を通してみたことで、ツマラヌ景色になっているという見方もあるだろう。
唯心論という学問では、すべては「私」の心象風景だと考える。だから「私」がなくなれば、すべても無くなる。
すべては、「私」を通してしか、認識できないということだ。
だとすれば、上記の場合、池を通してしか認識できない景色もあるわけだ。
できれば、ものごとを、何倍にも素敵に映す池を心の中に持ちたいものだと思う。
夕べ、「聲明ライブ」にいらっしゃってくださった12人の方々。ありがとうございました。
聲明とお話と、和民の芸、満喫いただけましたでしょうか。
そして今日、荒川区町屋の泊船軒でのつたない話を聞いてくださった21名の方々、ありがとうございました。
お近くでお会いできて、楽しかったです。皆さんの心の池にはどんな景色が映しだされたでしょう。
合掌
