
ご存じ「いろは歌」の一節。「有為の奥山、今日、越えて」・・・
有為は「有畏」と書くこともありますが、私は「有為」のほうが好き。
有と為の間にレ点がついて、「為(な)すこと有り」という世界、つまりこの世、娑婆、浮世のこと。
最高気温摂氏22度の世界から--家内にしてみれば、炊事、洗濯、掃除をしなくてもいい世界から--帰ってきたら、犬の散歩や、電話の応対、来客の対応、子供たちの所在の確認などなど・・為(な)すことが有りすぎる日常にカムバック。
それは私にしても同じこと。
ファックスの確認と対応、
メールチェックと返信、
お焼香のためにお葬式にでかけ、
街の電気屋さんがやってくれた我が家の地デジ工事の立ち会い、
カンボジアのスラムの子供たちの踊りの東京イベント用のゴザやらテントやらの積み込み、
明日の法事の会場準備、
そして、密蔵院の檀家の方のお通夜、
犬の散歩・・・
有為の世界に住(じゅう)する、わ・た・し。
ぞこへも逃げられよう筈もなく、だとすれば、こにドッカとあぐらをかいて、今日も今日とて、やるべきことをしっかり務める所存。
きっと、そうやってやるべきことをやっていると、ある時知らずに、有為の奥山を越えていたことに気づくんだと思う。坊主に、否、坊主的生き方に、定年は・・・ない。
写真は、東京とは異なる志賀高原の透明感あふれる空の写真。
