
夏の時期、坊さんは、襦袢と白衣を一回着ると、ビショビショになる。
生地は薄くても、合わせの有るぶん、でかいから、洗濯は迂闊にできない。からまるだけでなく、絡まって縫い目がほどけてちぎれるからだ。
だから、洗濯カゴにそのまま、丸めて入れると、家内が怒る。
「せめてネットに入れてから、カゴの中に入れてちょうだいよ」と。
結婚して26年目の夏の今年、初めてそう言われた。つまり今まで、家内がネットに入れて洗濯していたのだ。ぐははは。知らなかった。そうならば、そうしてくれともっと早く言えばいいのに、である。ぎゃはは。
だから、さっき帰ってきて、汗で重くなった襦袢と白衣をネットに入れてからカゴに入れた。
痛みやすいものはネットに入れて洗濯しないと、エライことになる----今日の法話についても同様なことが言えるのだなと、帰りの車の中で気がついた。
聞いてくださる方の心がいたみそうならば、ネットに入れるように、柔らかい話で、核心をつつまないといけないのだ。それが、今日もできなかった。
柔らかい心の話の例え話として
「御布施にしても、”とられた”としか思わないか、”差し上げた”と思えるかで、心の幅が違ってきます」と言ってしまったのだ。
聞いていた方の中には、「坊主がお金を話」をすることに、抵抗がある方がいる筈である。
柔らかい心の例えとして、「お布施」をお持ち出すのは、襦袢と白衣をネットに入れないで洗濯するようなものだと、思った。
いつになったら、そんな例え話さえ思いつかない綺麗な心になれるのだろうと思う。
