
5月中旬に、一カ月半で書き上げたと思って安心していた次の本だが、同系統の本がすでにいくつも書店に並ぶ。
速さが問題だったのは承知していたが、筆の早い筆者も、編集作業が早い編集者も、手回しがいい出版社もいるものだと思う。
そんで一昨日の夜に、「名取さんらしい本にしたいので第一章分20ページを丸々新しく書いてチョンマゲ、そんで締め切りは29日までね!」というある意味で激烈なリクエストが届いた。
そんなこと言ったって、29日までは、すでに毎日予定が入っている上に、お葬式も入ったから、さあ、たいへん。
昨日は実家のご詠歌の後に、午前さままで書き続け、今日はカルチャーセンターの講座出発ぎりぎりまで走り書きし、そんで帰ってきて、お通夜出発までの30分でブログを書いて・・・
で、午前中原稿を書いていて思った。
世の中は、遊園地のコーヒーカップのようなものだ。
土台自体が変化するようにぐるぐる回り、それぞれの事象や人や仲間が、その上をさらにグルグルまわっている。--結果的には、愉快で楽しい世の中である--というのである。
自分が乗っているコーヒーカップを自分でぐるぐる急回転させてギャギャー言って楽しんでいる者もいれば、回して欲しくないのに誰かが勝手に面白がって回すものだから、ただ気分が悪くなる者もいる。わははは。
回転が止まってみれば、愉快愉快である。あははは。
私にしてみれば、息の根が止まった時が、回転が止まった時である。コーヒーカップからおりて「ああ、楽しかった。そんじゃ、次は何に乗るかな・・」ってな具合である。
それまでは、「この世」というコーヒーカップを楽しもうと思う。
