
離婚して、飲食店をやっていたご婦人。方耳は生まれつき聞こえない。それで三人の子供を育てた。
子供たちが独立してから、お客さんの一人と再婚した。
すでに齢(よわい)70歳に近づく二人。働くこともできず生活保護を受けて、細々と生きている中で、奥さんは脳梗塞になり、一命はとりとめたものの半身に麻痺が残る。聞こえていた方耳も補聴器無しでは会話を聞き取れない。そんな中、ご主人が病気の末に亡くなった。---去年の今日のことだそうだ。
「お金もなくて、お坊さんをよぶこともできなかった。だから、俗名のままなんです。でも、せめて一周忌までは、私もがんばろうとって思って生きてきました」
「住職さん、檀家でもない私がこんなことをお願いするのは失礼ですけど、一周忌のお経をあげていただけませんか。御布施も二万円しか包めないんですけど」
生活保護の中で、二万円は大金だと思う。---三日前にいらっしゃった時の話である。
私は今日、ご主人に戒名をつけた。
彼女は「でもお戒名をいただいてもお金が・・・」
「今日のいただいた御布施の中にそれも入ってますから、ご安心ください。一周忌と一緒に、お葬式やりましょう」
私と奥さん二人の本堂で、一緒に般若心経もあげた。
こうした御布施も、もちろんお寺の維持、仏教を広めるために、お寺の会計に入ります。
一周忌にあたる今日の午前中、私の時間があいていてヨカッタと思う。
彼女の不自由な口から出た言葉は、もっともっと沢山ある。「たちいったことをお伺いしますが・・・」と私もいろいろおたずねした。
お互いが余計な遠慮がなく、人さまに聞かせるような話ではないことも話したから、今日の日を迎えたのだ。
私の対応は、その方の状況によって変化する(あたり前である)。その方が人生の役割分担を前向きに、笑顔で生きていけるかどうかがカギなのだ。
「誰にでも、二万円でお葬式やってくれる」などとは思わないでいただきたい(それでは檀家が支えてきたお寺が維持できないし、お寺を中心にした仏教を広める活動も極端に制約されることになるからだ)。
そんな中で、ウチワにお地蔵様を描いている。200枚くらいになると、けっこう壮観な眺めである。でも、本の加筆が20ページある。29日までという締め切りだ。あははは。お地蔵様とたわむれている場合ではないわい。
