
「細かく切ったナスとキュウリ、そしてお米をまぜて、そこにミソハギでつけたお水を振りかける。そうすると餓鬼たちは、お腹一杯たべることができるのございますね」
アナンはこれまでになく、素直に言った。それはそうである。自分の命がかかっているのだから。
「そうだ。そして、衣食足りて礼節を知るの例えのとおり、餓鬼たちは人の言うことを聞く余裕が心に生ずるのだ」
「なるほど」
「そこで、餓鬼たちに仏法を聞かせるというわけだ」
「自分のことしか考えなかった哀れな者たちが、仏弟子になるのでございますね」
「そうじゃ、そうじゃ。仏弟子になった餓鬼たちは、もはやお前を病気にしたり、事故にあわせたりするようなさもしい心は持ってはおらぬから、お前の命は長らえることになる」
「ああ、それはありがたいことでございます。私にはまだやりたいこと、修行したいことが沢山ありますから」
「では、早速餓鬼たちを呼び、食事を与える準備にとりかかろうかのう」
「はい、そうしましょう」
---この方法が2500年たった今でも、「施餓鬼」として伝わっています。
仏教が文字によって伝えられる場合、三種類あります。教えとしての「経(きょう)」、守るべき規範をしるした「律(りつ)」、そして解説書である「論(ろん)」です。
この「経・律・論」には漏らすことなく悟りへの道筋を説いているので「蔵(ぞう)」と言います。経・律・論の三つあるので、三蔵(さんぞう)と言います。
この三つを勉強して習得したお坊さんのことも「三蔵(さんぞう)」と言います。
西遊記に登場する「三蔵法師」は、いうなれば固有名詞ではなく、三蔵を修めたお坊さんすべてにつけられる称号なんです。西遊記に登場する三蔵法師のお名前は玄奘(げんじょう)ですから、玄奘三蔵と言います。
施餓鬼のやり方は、経・律・論の中では、経に書かれてあります。経は教えだけではなくて、具体的な修法(しゅほう)もたくさん書かれてあるんです。ただし、これらはちゃんとした師僧(阿闍梨)について、勉強しなければなりません。
1200年前、空海は「大毗盧遮那神変加持経(だいびるしゃなじんぺんかじきょう)」というお経と、大和の久米寺で出合います。しかし、このお経(通称「大日経(だいにちきょう)」の第一章は読んでわかるのですが、二章から後は、仏さまと一体になるための具体的な方法が、梵語(サンスクリット)入りで書かれてありました。
わからないながらも、空海は「このお経、スゴッ!やっとめぐり合ったってカンジ・・」と思いました。
当時、梵語をちゃんと読めるお坊さんは日本にいなかったために、若き日の空海は、このお経をちゃんと伝えてもらえると言われていた唐の青龍寺の恵果(けいか)阿闍梨に会いにいく決心します。
ここから先は司馬遼太郎「空海の風景」でお読みください。
