
やらねばならないことがある時に、楽をしようとはあまり思わないのだが、
それでも、ちょっいと疲れた時に「楽をしよう(休もう)」とする時には楽をしているときを楽しもうと思う。
「楽」は「らく」とも「たのしむ」とも読むからである。
今日の千葉の幕張でお伝えした和讃は「護国寺和讃」と「女人高野室生寺和讃」の二曲。
唱えるにはハイレベルな曲だが、内容はお寺の縁起と御利益を説いたもの。
正直なところ、「お寺でやっているご詠歌講で、他のお寺の縁起や御利益のご詠歌を一生懸命習うってぇのは、いかがなものかなぁ」と感じている。
もっと深いレベルの信仰の歌声としてのご詠歌ならば、いくらやっても飽きないのだがな。ぎゃははは。--今日、そんなことをあらためて考えた。
ご詠歌をやって26年。これだけやってきたからこそ、そんなことをふと考えるのだと思う。
