
学校の帰りにバイトをしてくるから帰りは遅くなるよ、と言って玄関を出て自転車で駅まで向った娘。
家を出てから10分ほどしてから、その娘から電話があった。
定期を忘れたと言うのだ。
「定期がないと、学校まで片道690円かかるの。それってイタイでしょ」と、痛いのは娘であって、私ではないから「イタイでしょ」と同意を求められても、「イタイだろうなぁ」と答えるのが精一杯である。
娘に言われたように定期を探し出し、駅で待っている娘に届けた。
「これで、バイトで一時間以上働く分が助かったんだな」と、あまり恩きせがましくなく言った。
坊さんは「これだけ働いていくら」という観念は、ありがたいことにほとんど無い(言い換えれば浮世離れしているとも言えるし、だからこそ、坊主でいられるとも言える)。
だから、こういう状況になってはじめて、「おおこれが世間の経済観念というべきなのだな」などと、妙なことで納得したりするのだ。
年に何度か「ご住職、金(キン)に興味はありませんか」とか「株にご興味は」とか「資産運用に興味は」という営業の電話がかかってくる。
「お金はあんまりいらないんだ」と答えると「でもあっても困ることはないでしょう」とマニュアル通りの返事が帰ってくる。
「今さ、あなたは普通の会社じゃなくて、お寺に電話かけてるのを知ってるんだよね」
「はい」
「私が坊さんだってことも知って電話してるんでしょ?」
「ええ」
「そんじゃ、毎朝、新聞の株価や金の相場を見ているような坊主に、拝んでもらいたいと思うわけ?」
「まあ、そう言われればそうですが」
「俺をそういう坊主にしないでおいてくれないかなぁ」
こうなるともう、営業のマニュアルにはないから気の毒だと思う。
「あなたの営業の電話、とても好感が持てるよ。誠実なお人柄がよく出てる。
俺はその営業に協力できないけど、世の中が経済でまわっている部分があることも知っているから、お客さんのために、これからもがんばってね。陰ながら応援するよ。
俺は経済でない部分で世の中を生きていくし、そういう生き方があることもみんなに伝えたいと思うからさ。
人生になんか悩みがあったら、営業じゃなく電話しておいでよ。一緒に考えよう」
「ありがとうございました」と電話を切ってくれる若者が多い。
