
お寺には世話人さんと呼ばれる方々がいる。その中の代表を総代さんと呼ぶ。
人選は民主的な場合もあれば、昔からの旧家が代々引き継ぐ場合もある。
お寺は基本的に檀家さんのものだ。住職は一応宗教法人○○寺の代表役員ではあるけれども、それでも住職のものではないから、大切なことを決めるのには、世話人さんたちの合議が必要になる。
で、今日、世話人会を開く必要がると思われる案件が出たので、世話人さんたちに電話をした。
電話にはお嫁さんが出る家もあり、息子さんが出る家もある。
「世話人会のことで・・・」と切り出すと、
「少々お待ちください。今代わりますから」との返事。
ややあって、ご本人が電話口に出てくださる。
「住職です。お呼び立てしてすみません」と言ってから用件を申し上げた。
電話を切ってから、はたと考えた。
固定電話ならいざ知らず、今どきは、コードレスだから、ご本人はその場を動かずに、電話機自体が本人のところへきたのかもしれない。
わざわざ電話口まで出向かない場合も「お呼び立てする」という言葉が適当なのだろうか、と。
でも、わざわざ電話に出てくださったのだから、やはり「お呼び立てしてすみません」と言うのが礼儀だろうということで、私の中では落ち着いた。うははは。
--ここまで書いて、疑問に思った。 いったい電話を「かける」という表現は誰が考えたのだろう。電話ができたのはそう昔のことではないはずだ。その動詞を「かける」にした人は誰だったのだろう。
ツマラヌことを考えておるな、と我ながら思うが、
こして、些細な穴を埋めながら、私の人生の街道を平坦にしていくのだな。
ぎゃはははは。
