
さて、西国観音第三番の札所は、まだ和歌山県。粉河寺(こかわでら)。
“父母の 恵みも深き 粉河寺 仏の誓い 頼もしの身や”
このお寺に花山法皇が奉納したと伝えられているご詠歌は少々困るところがあります。
私の手元にある資料では、最後の句が「頼もの宮」「頼もしきかな」「頼もしき身や」などたくさんあるのです(個人的には「頼もしき身や」を採りたいところです)。
上記にご紹介したのは、粉河寺のホームページにあるもの。
通釈は、
「父や母が、可愛い子を育てる――その恵みが深い〔粉河(こかわ)と子可愛がかけてあります〕。
観音さまがいらっしゃるこの粉河寺(こかわでら)という名前にも入っている河も、観音さまの恵みが深いことを表していることだ。
観音さまの人々を救うというお誓いも深いもので、その救いの手を差し伸べられている私たちのこの身の、なんと頼もしいことだろう」
このお寺にお参りした花山法皇は、観音さまにそっと手を合わせた時、不思議と両親への感謝が心に満ちていくのを感じたのでしょう。
お寺参りの面白いところは、それぞれのお寺で、フッと思うことが異なるところ。こちらの心が、その場のナニカに同調するのだと思うのです。
花山法王の場合は「子供に対する親の深い愛情とそのことへの感謝の意識」が同調して、呼び起こされたと言っていいでしょう。
信心のある人は、それを「観音さまが教えてくれた」と表現します。
信心のない人は「たまたまだよ。たまたま」と表現します。
私は「その“たまたま”を可能にする領域(聖域)が、仏さまがまつられているお寺なのだ」と思うのです。
残念ながら観光気分でお参りしてもその雰囲気は感じられません。心が静かになっていなとダメなんです。
ひっそりと建っていようと、堂々と建っていようと、お堂やお寺は、かつてそのような神聖な磁場を感じ取れる人々がそこに建てたのでしょう(私にはそういう能力はほとんどありません。ぐははは)。
もちろん、お堂を建てたことでその場が聖域になっていく場合もあります。
この考え方を発展させていくと、
一人一人の心の中にすでにお寺が建立されているのだという考え方もできるし、
心の中にお寺を建立しようという生き方の勧めにもなります。
さて西国観音巡礼第四番は、いよいよ和泉の国(大阪府和泉市)の槙尾寺(まきのおでら)。弘法大師が剃髪したお寺としても有名です。
“深山路(みやまじ)や 檜原松原(ひばらまつばら) わけ行けば 槙尾寺(まきのおでら)に 駒ぞ勇める”
この歌に、西国霊場再興の祖、花山(かざん)法皇は何を託したのでしょう。
それは次回のお楽しみ。
では、今回はここまで。ベンベン……
西国霊場ホームページ⇒http://www.saikoku33.gr.jp/
○ ○ ○ ○ ○
「寒さ暑さも彼岸まで」なんて、今年の9月にはぜんぜん当てはまらない、涼しい今日の東京です。家内は「足が寒い」とソックスをあわてて履いています。
今日密蔵院にお泊まりしているのは、娘の友達3人と、次男の友達3人の6人。11時30分現在、まだみんなグーグー。わははは。
遅くまでおしゃべりしていたんだろうな。
私の今日は、ご詠歌のダブルヘッダー。
2分弱で唱えられるご詠歌「法性の室戸と言えど 我が住めば 有為の波風 寄せぬ日ぞなき」ですが、曲を唱えられるようになるまで2時間の講習を3回から4回やらないと、モノになりません。ということで、今日も同じ曲+お彼岸のご詠歌です。
