
四十九日、密蔵院のある江戸川区あたりでは、「立ち日」と呼ばれます。
それまで、家の軒先あたりにいた霊が、あの世の旅に出発をするというのです。
家族も一緒にいられるのはここまで、ここから先は仏さまと一緒の、仏の修行旅です。
さて、『十王経』での、冥途では、七回目の太山王(たいさんおう)のお調べの場に、薬師如来が弁護のために登場であります。
左手に、薬の壺を持っておられるので、すぐにわかりますが、日本では、病気平癒の守り本尊として、医療が進んでいなかった江戸時代あたりまでは、絶大な信仰を集めておいででした。
奈良の薬師寺をはじめ、全国に薬師如来をおまつりしている「薬師寺」という名前のおてらは数しれず、また全国各地に他寺手いる「薬師堂」の数ははるかにそれを上回ります。
私はお薬師さまを、こんなふうに考えています。
現代のお薬師さまは、さしずめお医者さんでしょう。そのお医者さんがよく言います。「病気を治すのは、結局のところ患者さんが持っている生命力、生きようとする力なんです」
私はこの“生きようとする力”とは、自然治癒力ではないかと思うのです。
切り傷をして、瘡蓋(かさぶた)ができる。私たちの意志とは関係なく傷を治療して、もとの調和のとれた状態に復元する、私たちの体内に備わっているシステムのことです。
こう考えても、あまり仏教のお薬師さまと矛盾はおきないと思われます(お薬師さまのお経はほとんど読んだことはありませんが……)。
この思考をさらに発展させると、地球が持っている浄化のシステムもお薬師さまだし、無重力の中で物体はなるべく表面積を小さくしようとするのも(水滴とか、惑星が球体なのもその原理に基づいています)、最もバランスのよい状態に保とうとする力ですからお薬師さま。
私たちの生活が乱れていたら、それをなんとか治そうとしているシステム、「こんなんじゃ駄目だな」と思う心も、お薬師さまと読んでいいのだと思うわけです。
こうした考え方で、実際にお堂にまつられている薬師如来の仏像に手を合わせる時、自分の中のバランスをとろうとする力、自然治癒力が引き出され活性化するイメージをします。
そうすると、本当に調子が良くなります。自己暗示で潜在意識や自律神経系をコントロールするわけです。このあたりがヨガです。
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さて、お薬師さまの説明が長くなってしまいました。
弁護にあらわれたお薬師さまは、亡者に対して、自分の中の調和をお説きになります。もし心に形があるなら、トゲのない丸い状態が理想であること。そして、ま~るい心を目指せ、それが、あなたが元々求めている心のあり方なのだ、と。
一方で、太山王に向かっては、二枚舌を使ってまで自分を良く見せたかった亡者の心情について弁護し、そして遺族が功徳を積んでいることを代弁してくれます。
さて、続いて送られるは第八の王さま、平等王(びょうとうおう)のもと。人が亡くなってから百日目になります。「内に慈悲を含んで、外には怒相を現ず」とありますから、おっかない顔をしているんですね。
さて、どうなりますか……
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午後から、20年以上毎月二回ご詠歌でお邪魔している葛飾のお寺のお施餓鬼へ。
このお寺の副住職が、私に代わってご詠歌をやってくれることになったので、今日の法話は「ご詠歌の世界」と題して50分。
副住職さんのご詠歌の会、発足の応援演説のつもりでやります。わははは。
