
もう十年ちかく前にかって、住職室のボードにつけて、一枚もめくっていない「日めくりカレンダー」がある。
『ご教訓カレンダー』というパロディばっかりの一年の日めくりだ。
一枚も目くっていないので、ずっと元旦である。
その言葉が・・・
“信念曲げまして おめでとうございます”
この年は、元旦が日曜日で、二日が振替休日という、あんまり一般の人には関係ない連休になっている。–そんなことは、今日はどうでもいい。ぐははは。
信念を貫くなどとよく表現されるが、この言葉を読んでいてつくづく思うのは、信念というのはまっすぐでなければいけないことはあるまいということだ。
フニャフニャラと曲がっているようには見えても、貫いていることは結構あるものだ。
胃カメラのケーブルみたいなものである。
お坊さん仲間とそれを応援してくれる方の中で、僧侶と社会活動ということが話題になっている。
いわやる僧侶としての信念をどう貫くかである。
死にそうな人あれば、行って「こわくない」と言うか、延命のための治療薬を何とか手に入れるか・・・
その場その場で対応は異なるのはもちろんだが・・・。
「仕事もお金もないから、いくらかくれませんか」とお寺にくる人がいる。いわゆる乞食である。
「仕事は探しなさい。お金は交番で、もらいなさい」と言うと「坊主はこまっている人を救うのが仕事だろう。ふざけやがって」と捨てぜりふを吐いて出て行く輩(やから)もいる。
人を救うのが坊主の仕事だなどと、どこで習ったかしらないが、自分勝手な判断も(はなはだ)だしい。坊主は、自分が精神的に救われたくってなっているのだ。
もちろん人を救うのは坊主の生き方の一部だが、「俺は困っているのだから、お前さんが救うのは当然だ」という、甘ったれで、独りよがりなその思考をまず変えないと駄目である。
仏教は、そんなに甘くない。
写真は胃カメラ。私は一度しか飲んだことがありませんが、細かったので、うどんを食べるようなものでした。
