
さて、いよいよ報恩軍配物語の大団円を迎えます。
少々長いですが、よろしくおつきあいください。
ベン、ベン、ベン……。
「ご住職、この亡き宗四郎親方の白木の軍配を次の秋場所で私に使わせていただけませんか」
「えっ?だってあなたは大関相撲をさばく副立(ふくたて)行事でしょ。立派な衣装で、漆塗りの軍配を使わないと駄目でしょうに」
「いや、大丈夫です」
「大丈夫と言ったって、昔からの決まり事が多い神事としての相撲の世界で、そんなことをしたらあなたが困ることになるでしょう」
「まあ、いいから。秋場所にご招待しますから、その時にこの軍配をお持ちください」
そう言われた父でした。
そして、宗四郎さんが亡くなって16年目、迎えた昭和48年秋場所。関取連の名前が染め抜かれたノボリがはためく両国国技館。
宗四郎さんの家族と、白木野軍配を持って出かけた十日目。
副立行事木村伊三郎さんに軍配を渡しながら父は言いました。
「伊三郎さん、ほんとうに無理をしないでくださいね。格式のある大関相撲にそぐわない白木の軍配なんですから」
「いや、大丈夫です。お預かりしします」と伊三郎さんは、軍配を押しいただいて、行事控室へと戻っていきました。
さて取り組みが進んで、いよいよ三役。
やおら伊三郎さんが土俵上へあがりまして、
東をさして貴乃花、
西に振り向け豊山(ゆたかやま)と
朗々と声高らかに呼び出す、その右手にしっかと握られて高々と掲げられたのは……
宗四郎悲運を込めた白木板でした。
大観衆が両関取の四股に注目する中、父を含めた四人だけは、伊三郎さんが手にする軍配の動きだけを、涙ながらに追い続けていました。
「宗四郎さん、良かったね。宗四郎さん、良かったね」
父は心の中で、何度もそう言ったそうです。
掟(おきて)厳しい相撲の世界で、昔世話になった大恩人への、せめてもの恩返しと、土俵にかざす白木の軍配。
蒔いて忘れた情けの種が、国技館の土俵で見事に咲く、報恩軍配物語……。
江戸川区は小岩善養寺に伝わります草草紙(くさぞうし)の一節、
これにて読み切りとさせていただきますぅ……。┏〇”┓。
(※後で分かったことですが、この時伊三郎さんの捌いたのは貴乃花と豊山の取り組みではなかったそうです。おそらくその前後の大関相撲だったのでしょう。父は、伊三郎さんが土俵に向かって花道を入ってきた時から、軍配を手に花道を下がる時まで、ずっと宗四郎さん形見の軍配を見続けていたはずです。誰と誰の取り組みだったのかはとても記憶する所ではなかったと思います。)
※写真は、今日兄に出してもらって、写真におさめた「軍配」の本物です。
