
さて、全7回でご覧いただいた“施餓鬼”の元になるお経の話――。寿命を伸ばすために行なわれる、餓鬼たちへの施しとその功徳の方法が、現在多くのお寺で行なわれている「お施餓鬼」とか「施食会(せじきえ)」と呼ばれている儀式というか、法要というか……。と言いましても、宗派によってはやらないし、地方によってもやりませんから、どのくらいの割合なのか、まったく不明です。┏〇”┓。
ここから日本で行なわれているお寺の行事としての施餓鬼と、家庭での施餓鬼という現状に即して進めて参ります。
なぜならば……ベ、ベン、ベンベン。
お寺で行なわれているお施餓鬼は、お檀家や信者さんかたちが主に亡き人に対してお塔婆を建てます。つまりお金がかかるのであります。お金がかかって塔婆を建てるので、多くの参加者の方は「先祖供養」の行事、つまり檀家や信者をまとめてやる大がかりな法事檀家なのだな……と思うことでしょう(ここで、皆さんと、お寺や住職の信頼関係が構築されていないと「先祖を盾に、お金を取られた」という表現になります)。
さて、施餓鬼をお寺で主催する時の施主は、檀家さんは信者さんたち。複数の僧侶を招いて、餓鬼たちへの食事や、餓鬼たちの食卓になる場所のしつらえなどは、お寺が準備してくれます。
その場で、自分のことしか考えなかった餓鬼たちを仏の弟子に生まれ変わらせるという一台スペクタクル行事が行なわれることになります。その功徳(延命と善根(ぜんごん)は、施主に戻ってきますが、それを全部独り占めしてしまっては、今度は自分が生きている“自分のことしか考えない餓鬼”になっちゃう。
なので、自分が積んだ功徳を、亡き人に手向ける……これが、施餓鬼で建てられる塔婆の意味なんです。
地方によっては、法事に施餓鬼を付けてやる場所もまだあります。亡き人への供養である法事と、生きている人間の延命のための施餓鬼、ひいては悪いことをしでかす餓鬼へのもてなしなんですね。
なんだか要領を得ないですみません。
具体的には、「何かがとりついていると言われた」と仰る方への最終手段として、個人的に施餓鬼を行ないます。また、命に限りはあるけれど、あと少し寿命を伸ばしたいという場合、たとえば臨終間際だけど家族が海外から帰ってくるのにあと1日必要などという場合には、施餓鬼をします(このケースの依頼はまだありませんけど)。
次回は、皆さんのお宅でおこなわれている施餓鬼について、お盆と絡めてご案内でございます。
尚、今回の途中で「お金を取られた」表現にいたく納得された方々。
『お布施で困ったことありませんか。その2』セミナーが開かれます。
明日6月13日(土)、15時~18時、
東京お茶の水の明治大学、駿河台キャンパス リバティタワー1階
1011教室 会費1000円
私も出席して、こんな活動をしているお寺もありますという発表を簡単に行なう予定です。お時間がある方はどうぞ。
