
中島敦著『悟浄出世』は、紗悟浄がまだ三蔵法師と出会う前の賢人を訪ね歩く物語。
では、前回の続き。年老いた紗虹隠士(エビの精)に、悟浄は聞きます。
自分の聞きたいのは、自己及び、世界の究極の意味についてである、と。
すると隠士は答えます。
――自己だと?世界だと?自己を外にして客観世界など、在ると思うのか。世界とはな、自己が時間と空間との間に投射した幻じゃ。自己が死ねば世界は消滅しますわい。自己が死んでも世界が残るなどとは、俗も俗、はなはだしい謬見(びゅうけん)じゃ。世界が消えても、招待の判らぬ・この不思議な自己というやつこそ。依然として続くじゃろうよ。――
悟浄が仕えてからちょうど90日目の朝、数日間続いた猛烈な腹痛と下痢ののちに、この老隠者は、ついにたおれた。かかる醜い下痢と苦しい腹痛とを自分に与えるような客観世界を、自分の死によって抹殺できることを喜びながら……。
さて、この老隠者をとむらって次に向かったのは、坐忘(ざぼう)先生のもと。この人、常に流紗河の中でも、殆ど光が差し込まない最も深い谷底で、座禅を組んだまま眠り続け、50日に一度目を覚ますという先生。
どんな話が展開しますか、次回のお楽しみ!
