
毎朝仏壇で手を合わせる方は多い。お経を唱える方も相当な数にのぼるだろう。
そして、密蔵院では今日は「読経の広場(庭だったっけかな?)」。
今日は、参加者二十五名の方々は、仏さま(亡き人ではない。密蔵院にあってはお不動さまのこと)を純粋に拝む日だ。
祖先崇拝の思いが強い日本にあって、多くの方々にとって、純粋に仏さまを拝むことは稀だろうと思う。
私にとって、「読経の広場」は、ご法事では当たり前の「ご先祖のおかげ」ではなく、「先祖のおかげ」から引っ張らずともできる、「自分の生き方としての仏教の考え方」をお伝えできる場である。
おそらくこのブログをお読みいただいている方々は、この場で坊さんんの「ご先祖のおかげ」について読みたいと思っていないだろうと、勝手に思っている。それは菩提寺でたくさん聞いているだろう。
もとより、悩んでいうよと、苦しんでいようと、朗らかであろうと、前向きであろうが、「今の自分」を考える時、先祖は直接、自己存在をあらしめた原因だから、忘れるわけにはいかない。それを踏まえて、自分がどう生きていくのか…その手引きになるのが仏教だと思う。
お彼岸は、お墓参りをして先祖への感謝を表し、自らの生き方をチェクする……「先祖のおかげ」の更に先へつなげていく、そんな仏教修養ウィークだ。
