
宗派で秋に行なわれてきた「布教基礎講座」(全六回)も今日が最終回。
一日三人の講師が担当するが、基本的に講師全員が朝から終了まで、参加者と同じ空間にいて、食事も一緒。懇親会も毎回やって、そこで話し足りないところを補うという贅沢な企画。
私は過去五回、話し方について担当してきたのだが、今日はお坊さんのやっていることや法事やお葬式、果ては仏教について一般の方々が疑問に思うことを如何に私が話しているかお伝えしようと思う。
言い方をかえれば、坊さん側から一般の方々への説明責任のために何をどう話したらいいかという講義である。
しかし、自分でつかっていてこの「説明責任」という言葉はどうしても好きになれない。「共通理解」でいいではないかと思うのだ。
数珠はこういう意味ですよね。
白装束はこういう意味ですよね。
仏教で水はこういう意味ですよね。
--そんなことを双方が理解し、納得した上での仏事なら、それだけでいいとさえ思う。その中に、亡き人を堂考えるのか、私たちかどう生きていくと良いのかなど、全て網羅されている筈だからである。
--と以上のように考えたのが、26日の午後11時30分を回っていた。一時間かけてどうにかレジメをまとめ、その勢いでこの文章を書いている。
説明責任も大変だが、講師の責任も重いのだなと思う。
