今日は父であり、師僧の14回目の命日である。
日本語では、命が無くなった日なのに「命日」と書く。
もともとは冥土へ行った日という意味で「冥日」だったと読んだことがある。
「冥日」を「命日」にしたのは坊さんだろうと思う。
「仏の世界で命をもらった日」
「大きな命に帰った日」
「残された者たちが、故人とのつながりをキッカケとして自分の命を再確認する日」
……そんな沢山の意味が付加できる言葉だ。
人は誰もこの世を去る。この世線からあの世線へ乗り換える時が来る。
せいぜい車窓からの景色を楽しみ、車内でも愉快に過ごしたいものだ。
父の墓参を終えて気持ちがさっぱりした。
その気分そのままに、これからお檀家のお通夜の読経である。
この世線を走りきったことへのご慰労と、あの世線での過ごし方を、お経としてお伝えするのが私の役目である。
