「袖擦りあうも多少の縁」--「いくらかの縁があるんだね」あはは。これは大いなる誤用。
「袖擦りあうも他生の合縁」--「前世からのなんか繋がりがあるんだね」うはは。残念ながらこれも誤用。
本当は「袖擦り合うも多生の縁」。
意味は、何度もこの世に生まれ変わって多くの生を受ける間に結ばれた縁。
何時間か同席して親しく話した方に「多生の縁」を感じることが多い。初めて会ったような気がしないのだ。ただ、単にその感覚を面白いと思う。
そこから先の輪廻のこととかは考えないことにしている。しっかり生きていれば、殆ど意味がないと思うからである。
