25歳でご詠歌を始めて24年になる。
このご詠歌が私の人生を大きく変えることになったのだが、まあそれは置いておく。
今日は今年最初のご詠歌の練習。お相手は千葉県野田のお寺のご詠歌の支部。
四年前の支部立ち上げの時から月に一回お邪魔している。
三月に千葉の大会があるので、今日を含めてあと三回のお稽古だ。
で、私が伺う一時間前から集合して練習していた成果を冒頭に聞かせていただいた。一カ所を除いて、間違っていないが、それだけだった。何も伝わってこないし、何も伝えようとはしていない唱え方だ。当たり前である。冒頭から私に聞かれれば、間違いないようにとなえるのが精一杯だからである。
約四分の唱える時間の中で、一カ所だけ十八名のうち四人ほどが間違えていた。難しい場所だから仕方がない。
歌を歌うこと(正確にはご詠歌は「唱える」と言います)は、歌う人の心のあり方そのものだし、それが声の出し方にも如実に出るものだ。言いかえれば、歌詞の内容を自分のものとして、どれだけメロディーや発声に出せるかということだ。
歌謡曲はよくわからないが、ご詠歌ならばわかるようになった。24年というのはそういう時間である。
なぜ、大切な所を粗雑に唱えてしまうのか……そんなことを考えながら、耳をダンボのようにして聞いた、耳だけでなく、心で聞こうとした。
そして、気づいたことを笑顔で、駄洒落を存分にいれてお伝えした。こういう場があることを、私は素直に嬉しいと思う。
一般の方が唱えるご詠歌の中に、私か何を聞き、何に気づき、何を、どのように楽しく伝えるか……わたしにとって、毎回が新しい発見だ。
今日の曲も、「ここはこうしてお伝えすると、全員に素晴らしいお唱えがしてもらなるのだな」という発見か三つあった。
……こうして「先生と呼ばれる程の馬鹿は無し」がますます助長されていくのだな……。
