「日の出を拝む人あれど、入(い)り日(夕日のこと)を見送る日はねぇ……これが世間の習(なら)わしなれど、あっしら渡世人はそれじゃ通るめぇ」
再度浪曲の名台詞からで、恐縮です。
「これから世に出そうな人」や「現在勢いのある人」には、おべっかをつかったり、ヘイコラする人はいるが、「風の噂にも昇らなくなった人」や「おちぶれてしまった人」に気を使う人はいないのが世間の常だけども---そんな意味です。
比喩ではなく、あと一月もすると今年最後の夕日(入り日)。
「初(はつ)日の出」を拝む人は多いですが、「今年も一年ありがとう」と大晦日の夕日を見送りたいと、今頃から思っています。---最近よく考える「貫祿」ということの、そして今日は日の出も拝めなかったくらい寝坊した--私の心象のヒトコマであります。
仏さまってぇのは、「貫祿」ありますかねぇ?(というより、仏さまにゃ、そういう尺度は通用しませんかな?)
