「亡き人のことを、西洋では故人の誕生日で思い出し、東洋では命日で思い出す」
こんな研究成果を社会学の先生が書いた本で読んで「なるほど」と思ったのは、もう20年も前のことです。
日本では「ああ、今日はおばあちゃんの命日だ」とおばあちゃんを思い出す一方で、
西洋では「おっ!今日は、ばあさんの誕生日だ」という具合だというのです。
それくらい、日本では命日(あちらへ逝った日、あちらでの誕生日)が印象に残るということです。ところが昨日……
檀家さんのおばあちゃんがお供物を持ってお参りにきました。
「住職さん、今日は亡くなったセガレの誕生日なんですよ。昨日夢に出てきたもんですから、これ本尊さまに供えてください」
そのセガレさんは、四十二歳で亡くなった。小さな男の子と女の子を残して…。 生きていれば、昨日五十三歳の誕生日だ。
私は、冒頭の言葉が百パーセント正しいと思うのを止めた。
親ならば、亡き子供のことを、その子の命日より、誕生日で思い出すものだとしみじみ思ったからである。
誕生日というのは、生まれた当人よりも、親にとって、それほどのパワーを持っているのだ。
生まれてくれて、ありがとう。 合掌。
