仏教は、いつでも、どんなことがあっても、心おだやかでいる人になるためにはどうすればいいかを模索しつづけてきました。
その模索過程でわかったのは、ものごとの真実のありかたがわからないと心おだやかではいられないということでした。
たとえば、「我慢」についてですが、私たちは目標がないと我慢できません。
仏教には「心おだやかでいる人になる」という目標設定があります。その目標達成のために、やりたくてもやってはいけないことがあります。逆に、やりたくなくてもやらなければならないこともあります。やりたいけど(我慢して)やらない、やりたくないけど(我慢して)やることがあるのです。
目標を達成したい人にとって、我慢は辛いことではありません。我慢するのが嫌な人は、我慢してでも達成したい目標がない、あるいはあやふやな目標しかないだけでしょう。※次回につづく……。