昨日のブログの最後に「自分で多く関わりを持たないと記憶に残りづらいことをあらためて痛感した」と書いた。これは死後の現場にいる坊主として、よく感じることだ。
身近な人の死が間近なのを医師から告げられたとき、死期が近いのを覚悟して見舞いにいく。食べたいものを(食べられなくても)買ってきてあげる。死亡診断書を取りにいく。入院費用の支払いを済ませる。葬儀社や僧侶と打ち合わせをする。故人に代わって年賀欠礼のハガキを書くなど。
こうしたことをすべて他人任せにしていると、「亡くなった」という事実が記憶として残りづらく、結果として身近な人の死をなかなか受け入れられないことが少なくないのだ。
それを踏まえて、死の前後にやることは、多くの人が分担して関わったほうがいいと思う。
惣菜で済ませた前日の夕飯で何を食べたか思いだせない・・・ということを、死の受容という経験を土台にしてブログにした坊主もいるという話である。どはは。
和尚ブログ ほうげん日記
2021年11月12日