「月 ゆがむにあらず、波 騒ぐなり」(真実がゆがんでいるわけではない。それを映す心が波立っているから月がゆがんで見えるのだ)――生まれたことも、年を取ることも、新型コロナも、私の部屋が散らかっているのも、真実の姿である。それを「いやだ」と思うのは、心がゆがんでいるからだ。そして「“荷物を軽くして欲しい”と祈らず、“強い背中になりたい”と願え」は、今年になってから法事で必ずご紹介する、新型コロナ騒ぎにも効く二つの言葉だ。で、法要後に「では最後に、強い背中になる力を出していただくために、太鼓付きで『般若心経』をお唱えしましょう」と案内する。法要中にすでに一度『般若心経』を唱えてもらっているが、番外の『心経』は太鼓付きである。限界に挑戦するかのようにハイスピードで叩き、唱える。最後に「ド・ドン」と終えると軽い酸欠になる。ゼイゼイ言う。疲れて昼寝してしまう。これもまた真実の姿である。心がゆがんでいない家内と長男は「しょうがねぇなぁ」と寝かせておいてくれる。うぎゃぎゃ。
和尚ブログ ほうげん日記
2021年01月24日