[時々名言]--モチベーションを維持するために日々見える所に置いておくような名言ではなく、時々目にしてゆるむ心に打ちこむクサビのような役割を果たす名言のこと(名取造語)。
今回は、葬儀雑誌の編集者から僧侶になった友人(故人)がフェイスブックに投稿した言葉(出典は確認していません)である。読んだ時、我が身の不幸を訴える人が何人か思い浮かんだ。「そうか、そういう理由であの人は今でも、自分を不幸にした(と思っている)人を許すことができないのか」と得心した。幸・不幸は、本人がそう思うか否かである。自分を不幸にした人を許してしまえば、その先は「自分は不幸ではない」と自ら思わなくてはならい。これはとても勇気がいる作業だ。そんな面倒なことをするより、自分の不幸を「だれか」のせいにして、愚痴や不平を言っていたほうが楽である。