親しい人が「近くまできたので、ついでで悪いけど顔を見ていこうなと思ってさ」とやってきたら、あなたは「ついでとは失礼な話だ」と怒るだろうか。あるいは、あなたの所にやってきた人が「ここまで来たついでに、友達がそばに住んでいるので帰りに寄っていこうと思うんだ」と言ったら、あなたは「なんだ私の所に来ることだけが目的ではないのか!」と怒るだろうか。どちらにしても、あなたは怒らないだろう。仏の弟子になった人ならば、尚更怒りはしない。「心穏やかでいるために、なるべく怒りから遠ざかっていよう」と思っているのが仏の弟子だからである。戒名をもらった亡き人も同じである。主役を「ついで」にさえなしなければ、「ついで参り(ある人のお墓参りに来たのに、その人だけでなく別の人のお墓参りもすること)」も悪いことではない。
和尚ブログ ほうげん日記
2018年11月20日