人には3つの死があるという。自分の死、身近な人の死、他人の死である。この中で、私たちが敏感にならざるを得ないのは身近な人の死だと思う。自分の死は経験不可能だ。他人の死にもかなり無関心でいられる。今日の四十九日の法要の主役は、遺族のご家族の中でも、もっともテキパキと動いていた方だった。生きていれば、今日の法要も参列者が来る前に来て、すべて取り仕切っていただろうと思う。その、いるべき人がいないのだ。お骨になって動かない。それはわかっいる。だからこそ、朝から彼の残像が見えて仕方なかった。
和尚ブログ ほうげん日記
2016年04月09日