真言宗豊山派 もっとい不動 密蔵院

ウェブ連載 「…なんだそうだ、般若心経」名取芳彦

はじめて読むひとは、ぜひ「その1」からお読みください

その十四 こだわり[無智亦無得以無所得故]

無はこだわるな

挿絵:無智亦無得…最初はちょっとのつもりで書きはじめたこの解説ですが、もう十四回目にもなると「ちょっと」どころではなくなってきましたが、いま少しおつきあい下さい。ここでは、
無智亦無得(ムーチーヤクムートク)
「智も無く、また、得も無し」
の句について、考えてみましょう。ここは、読みくせだと(ムー、チーヤク、ムートク)と、クの音が重なって、音だけで聞くと、とてもお経には聞こえないところです。

しかし、この部分はとんでもないことを言っています。
般若心経の「般若」は「智慧」という意味です。その「智慧を得る」ためのお経が般若心経のはずです。ところが、[無智亦無得(ムーチーヤクムートク)]——「智慧なんて無いし、(智慧を)得るなんてこともないのです」というのです。
こういう時は、よくいわれる「般若心経はこだわるなということが説かれている」ということを思い出すといいかもしれません。
挿絵:無智、無得「無」を「こだわってダメだ」に置きかえてみます。
すると[無智]は「智慧にこだわってはダメ」。
[無得]は「得ることにこだわってもダメなのだ」ということになります。
「私は智慧を得た」と思うことが、智慧を得ていないという証拠だ。本当の智慧を得たのならば、智慧を得たということは思わないはずだというのです。悟っていない人に限って「私は悟りを得た」というのと同じです。

まことの名人

昭和十七年に三十四歳で早世した作家、中島(あつし)の小説に『名人伝』があります。少し長くなりますが、概要を引用して、「智慧を得た」と思ううちは、まだ本当の智慧を得ていないということをお分かりいただこうと思います。

挿絵:瞬きせざる紀昌(きしょう)という男が弓の名手になろうと、当代一の弓の名手(ひえい)飛衛に弟子入りします。すると師匠は「まず、(まばた)きせざることを学べ」と命じます。そこで紀昌は、妻の機織台の下にもぐり込んで、機織機が目すれすれに往来するのをじっと見る訓練に入ります。二年の後、紀昌は熟睡していても、目をクワッと見開き、不意に火の粉が目に入ろうが、目をパチつかせることもなくなります。そこで師匠飛衛のところに報告に行きます。すると、「瞬かないだけでは(いま)だ弓を教えるわけにはいかない。次には()ることを学べ。小を視ること大の如くなったらまた来い」と告げます。
挿絵:小を視ること大の如くそこで紀昌は自分の服についていた(しらみ)に自分の髪を結びつけて、窓に()るして見続ける訓練をします。はたして三年後、虱が馬のような大きさに見えるようになります。外に出てみて紀昌は我が目を疑いました。人は高塔であり、馬は山、豚は丘のごとくに見えるのです。これならばと家の中に入って、虱めがけて弓を引いて矢を放つと、矢はみごとに虱の心臓を貫いて、しかも虱をつないだ髪さえ切れない域に達していました。
紀昌は早速師のもとに(おもむ)いてこれを報告して、ようやく弓の射術の奥義を授けられることになります。

目の基礎訓練に五年もかけただけあって、その上達ぶりは目を見張るほどでした。一カ月たったころに、百本の矢を速射したところ、第一矢が的に当たれば、続いて飛び来たった第二矢は(あやま)たず第一矢の(やはず)に当たって突き刺さり、更に間髪を入れず第三のやじりが第二矢の括にガッシと食い込む。後矢のやじりは必ず前矢の括に喰入るがゆえに、絶えて地に落ちることがない。瞬く間に、百本の矢は一本の如くに相連なるほどの腕前になります。
やがて、紀昌は師の飛衛の命まで弓で狙うことになり、師はいいます。「これ以上教えることはない。もしこれ以上弓を極めたいと思うなら、甘蠅(かんよう)という老師を訪ねるがいい。その老師の技に比べれば、われわれの射などは子供のお遊びのようなものだ」

挿絵:射之射そこで紀昌は、深山に住むという年齢は百歳を越えていそうな甘蠅老師を訪ねます。ここで紀昌は自分の技を見せます。山頂から、はるか頭上を高く飛び過ぎる渡り鳥に向かって狙いを定めて矢を放つと、たちまちに五羽の鳥が落ちてきます。老師は「ひと通りできるようじゃな」と微笑んで「だがお前さんはまだ不射之射(ふしゃのしゃ)を知らぬとみえる。では射というものをお目にかけようかな」といいます。しかし、その手には何も持っていません。甘蠅は「弓矢がいるうちはまだ射之射(しゃのしゃ)じゃ」といって、空の極めて高いところを輪を描いていた(とび)を見上げ、やがて見えざる矢を無形の弓につがえ、満月の如くに引き絞ってひょうと放てば、鳶は羽ばたきもせず中空から石の如くに落ちて来ます。
挿絵:不射之射紀昌はこの老名人のもとにとどまって修行を積みます。九年の後、山を下りてきた紀昌の顔は変わっていました。以前の負けず嫌いな精悍(せいかん)面魂(つらだましい)はどこかに影をひそめ、何の表情もない、木偶(でく)の如く愚者(ぐしゃ)の如き容貌(ようぼう)に変わっていたのです。久しぶりに旧師の飛衛を訪ねた時、飛衛はこの顔つきを一目見ると驚嘆して「これでこそ初めて天下の名人だ。われらの如きは足下(あしもと)にもおよぶものではない」と叫びます。

都では、天下一の名人となって戻ってきた紀昌を迎えて、やがて眼前に示されるに違いないその妙技への期待に沸き返るのですが、紀昌は一向にその要望に応えようとしません。
挿絵:無智亦無得一体どうしたのかという質問に、紀昌は「至為(しい)()す無く、至言は言を去り、至射は射ることなし」とものうげに答えます。こうして弓を取らざる弓の名人は都の人の誇りとなり、紀昌が弓に触れなければ触れない程、彼の無敵の評判はいよいよ広まりました。
この紀昌がある時、招かれた家で一つの器具を見ます。確かに見覚えのある道具なのですが、その名前も使い方も思い出せないので、その家の主人に尋ねます。主人は紀昌がとぼけていると思って笑っていると、三度同じことを尋ねるので、主人は唖然としてどもりながら叫びました。
「ああ、あなたが、———古今無双の射の名人たるあなたが、弓を忘れたのですか?ああ、弓という名も、その使い途も!」
その後当分の間、都では画家は絵筆を隠し、楽人は楽器の弦を切り、大工は道具を手にするのを恥じたといいます。
そして、老名人紀昌晩年の述懐として次の言葉があります。
「既に、我と彼との別、是と非の分を知らぬ。眼は耳の如く、耳は鼻の如く、鼻は口の如く思われる」

かなり長い引用でしたが、「(智慧が大事だというけれど、)その智慧にこだわっているうちは、まだ智慧ではない。また、その智慧を得たと思ううちは、まだ智慧を得ていない証拠だ」という「無智亦無得(ムーチーヤクムートク)」の句の意味がお分かりいただけたでしょうか。
紀昌流のいい方をすれば「至智は智を離れ、至得は得を絶つ」というところでしょうか。

般若心経では「智も無く、また得も無し」のあとに「得る所無きを以ての故に(以無所得故(イームーショートッコー))」とあります。
得ようとすべき物も、仮に得たとしてもそれを受ける自分も、本来は無いのですから、なるほど「智慧も無いし、得るということもない」ということになります。
また、先にご紹介した紀昌晩年の述懐の「我と彼との別」は、人間関係のもつれである「ガタピシ」のことです。「我と他、彼と此」の区別をつけすぎる結果として「我他彼此」してくるのです。
挿絵:境界線はない私も他の人も、動物も植物も、私たちのご都合以前に大きな命の流れの中で生きています。塀の向こう側とこちら側と境界があるように思いますが、人間が勝手に作った塀を取り去ってしまえば、ほんらい境界線などどこにもありません。
また「耳は目の如く、云々」の述懐も、般若心経の「無眼耳鼻舌」とかさなる部分が少なくありません。

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