密蔵院和尚 名取芳彦(なとり・ほうげん)
密蔵院について
もっとい不動密蔵院は、本名を「本命山 密蔵院 明光寺」といいます。本堂の横には、大きないちょうの木がそびえ立っています。
いちょうの木は、江戸川区の保護樹に指定されています。
密蔵院の創建は江戸時代中期。もともと独立していた寺院でしたが、明治期に小岩善養寺の境外仏堂となりました。住職がいない気軽さからか、地元のお年寄りが孫をおんぶして集い、青年団の寄り合い所として機能しつつ、地域の寺として地元の人々によって、昭和まで維持されてきました。
平成2年に現行の法律に従った宗教法人となりました。
密蔵院は仏教のテーマパーク。
“ただそこに在る寺”から“生きている寺”をめざして、真言宗豊山派でありつつ、皆の衆(宗)行動派として、モゾモゾ、モゴモゴと動き始めています。
おいでの際は地図・アクセスをご参照ください。
ご本尊さまは、「不動明王さま」です。
宝暦2年(1753年)9月にできました。
不動明王の右腕には元結(もとゆい ★)と呼ばれる細い紐がかけられています。
鹿骨では、むかしからお正月のお飾り作りが盛んで、藁を縒って起こる腱鞘炎(硬手・こうで)も一つの職業病でした。
人々は腱鞘炎になるとお不動さまの手にかかっている元結を一本いただいて、手首に縛りつけて、症状が回復すると、元結を一束奉納する信仰が今に続いています。
現在でも、喉や首が痛ければネックレス代わりに首に巻き、腰が痛ければ数本つないで腰に巻くなど、元結をもらいに来る人がいます。
この元結が変化して「もっとい」となりました。
★元結(もとゆい、もとい、もっとい)
日本髪を結うとき髪の根もとを束ねるのに使う紐。昔公家や武家の間では松書けや鶴亀など美しい色絵の紐の飾り元結もあったが、庶民はこより、わらなども用いた。こより(水引・こよりを糊でかためたもの)が大勢を占めるようになったのは寛文年間(1661〜73)といわれる。『ブリタニカ百科事典』より。
密蔵院の入り口(バス停留所前)には「えんま大王さま」がいます。
以下、えんま大王さまからのコメントです。
『この大王、人類史上初の死者なり。よってあの世の大王となる。他に九人の王たちを従え、死者を裁く権限を有する。
私たちは死んでのち三十五日目には、この王の前に立ち、生前についた数々の嘘を調べられる。
この場においても凝りもせず虚言すれば、ただちに舌を根こそぎ抜かれる。なぜ嘘が見抜けるかといえば、この王、死者の生前の善行悪行がもれなく記載されている「えんま帳」を持つがゆえである。
嘘をついても屁と思わず、否それをも正当化しようとする昨今の風潮にいたく立腹され、このたび憤怒の姿をこの地にあらわされた。
心からの反省の念をもって水をかけ、願うべし。
「どうか私のついた嘘を水にながしてください」と。』
密蔵院のある町、鹿骨(ししぼね)
昔、常陸国の鹿島大神が大和国奈良の春日大社へお移りになった時、この地を通られたおり、大神の杖となっていた神鹿が病気でたおれてしまいました。里の人はこの鹿をていねいに葬ってこの地に祀りました(現在鹿見塚として残っています)。もともと鹿骨は六百年前の文書にも地名の登場する古い土地で、鹿見塚を古墳ではないかとする説もあります。