真言宗豊山派 もっとい不動 密蔵院

ウェブ連載 「…なんだそうだ、般若心経」名取芳彦

はじめて読むひとは、ぜひ「その1」からお読みください

その十三 仏とさとり[無苦集滅道]

仏陀、目覚めた人

挿絵:ブッダお目覚め釈迦国の王子として生まれたお釈迦さまは、二十九歳の時、人の老いや、病気、そして、死という苦しみをなくす方法はないのだろうかと悩んで、王子という位を捨てて出家しました。
そして修行すること六年間、三十五歳で、菩提樹の下でブッダとなりました。十二月八日の朝のことだったと仏伝は伝えています。ブッダというのは梵語で「目覚めた人」という意味です。迷いの夢から目覚めたという意味なので、覚りと書きます。
挿絵:僕もお目覚め言葉通りに考えると、私たちは毎朝「ブッダ」になっています。目をさました人のことを「ブッダ」というのですから。毎日「ブッダ」として生活できたらいいですね。
さて、時代が下ると、お釈迦さまが覚れた条件も、覚った内容も、私たちの誰もが心の中に持っていることに気づいて、中国のお坊さんが「吾が心を知る」という意味で「悟り」という字を使います。

明らかになった四つのこと

さて、ではお釈迦さまは何を覚ったのでしょう。

一般的には、四諦(したい)八正道(はっしょうどう)だといわれています。
四諦とは、四つの(あきら)めという意味です。日本語で諦めるというのは、もともとは「(あか)らめる」という言葉からきています。つまりものごとのありようを、明らかにしないと、諦めるということはできません。亡き人を諦めていくためには、まずその人が亡くなっているという事実を、自分の心の中で明らかにしなければならないということです。
自分に直接関係のない人の死は、私たちはすぐに諦められます。それは亡くなったという事実をそのまま受け入れられるからです。しかし、身近な人の死は、なかなか受け入れることはができません。「まさか」とか「どうして」と思っている間は、まだその人に死が訪れたということが、心の底で明らかになっていない場合でしょう。

さて、四つの明らかにされたこと(四諦)を、簡単にみていきましょう。
まず「この世は思い通りにならないことばかりである」という「()」。
次に「この苦を苦と思うのは、多くの迷いの集合した結果である」という「(じゅう)」。
次に「この苦の原因である迷いを滅すれば、心はこよなく安らぐ」という「(めつ)」。
挿絵:苦集滅道最後は「その理想の状態に到るために、八つの正しい道がある」という「(どう)」。
八正道についてはこの章の終わりにふれておきますが、以上を合わせて「()(じゅう)(めつ)(どう)」の四諦といいます。

さて般若心経では、この「(お釈迦さまが覚った)()(じゅう)(めつ)(どう)も無い」といい切ってしまいます。

あれ?般若心経そのものが、仏さまが説いたはずなのに、何でその仏さまが自分で覚った内容を否定するの?とお思いでしょう。
これには少々わけがあります。少し面倒ですが、がまんして読んで下さい。読んでくだされば、色々な仏さまがいることも、仏さまのもともとの姿である大日如来という仏さまのことも、おわかりいただけると思いますから……。

真理を覚った人も仏、真理も仏

挿絵:過去七仏さて、私たちが知っている、歴史上の悟りを開いた人は、お釈迦さまです。しかし、お釈迦さまが覚った内容は、何もお釈迦さまが発明したことではありません。それは私たちの身のまわりにあることと、自分自身の心の内面を、心静かにありのままに観察し続けた結果として、分かったことなのです。いいかえれば、お釈迦さまが覚ったことは、はるか昔からこの先永遠の未来にわたって、私たちの中や外にある自然の摂理であり、法則(全てのものに共通しているあるがままの姿と働き)です。

この法則は過去現在未来を通じて変わることはありません。だとすれば、過去にも、お釈迦さまと同じように覚った人はきっといるはずだということになります。仏教ではその数七人。過去七仏(しちぶつ)といいます。
そして、未来にもお釈迦さまと同じように覚る人が現れるだろうと考えられたのが、
未来の仏である弥勒(みろく)菩薩です。

挿絵:現在・過去・未来さて、お釈迦さまが覚った内容は永遠に変わることのない真理です。自然の摂理、あるいは永遠不変の法則といってもいいでしょう。
ところでお釈迦さまが覚った内容も真理ですが、ふつうの人であったお釈迦さまが、覚りを開いて仏さまになることができたのも、その真理の力が働いたゆえではないか、と考えられるようになりました。
この、人を仏にする真理のことを「法」とよびます。やがて、この法を人格的にとらえて「法身(ほっしん)」あるいは「法身仏(ほっしんぶつ)」と呼ぶようになったのです。
ですから、お釈迦さまが覚った法(真理)というのも、「法身仏」という仏さまを覚ったということになるわけです。

たくさんの仏

さて、ここまで登場してきたのは、私たちの世界の仏です。つまり地球上に現れたり、これから現れる仏が、過去七仏や釈迦、弥勒という仏たちです。
しかし、インドの世界観では、私たちの住むこの地球という世界以外にも、無数の世界があると考えられていました。そして、それぞれの世界にも、法の力が働いているのですから、それを悟った仏がいるはずなのです。極楽世界には阿弥陀如来、瑠璃光(るりこう)世界には薬師如来といった具合です。「いや、世界が違えばそこでの真理も、私たちの世界とは違うかもしれない」と思うかもしれませんが、場所や時代によって変化してしまうものは「真理」とはいいません。
そもそも「真理」という言葉の定義が時や場所に左右されない永遠不滅の法則のことなのです。

挿絵:ほっとけよくこれに似た勘違いをされる方がいらっしゃいます。「悪いことをすると仏さまの罰が当たる」といういい方です。仏さまは私たちに罰を与えるような方ではありません。そもそも、罰を当てるような人を仏さまとはいわないのです。

大日如来とマンダラ

さて、真理(法)は、私たちの住む娑婆世界だけでなく、どんな世界でも共通です。七世紀頃の仏教では、どこの世界(東西南北と東北、南東、南西、北東の八方に上下を加えた十方世界(じっぽうせかい))、いつの時代(過去、現在、未来の三世(さんぜ))にも共通の真理を、人格的にとらえた仏さま、大日如来が考えられるようになりました。

挿絵:曼荼羅そして、大日如来こそが三世十方(さんぜじっぽう)(これで時間空間の全てを表します)の仏を、仏たらしめている究極の仏と考えられるようになりました。無数の仏も大日如来によって現れているのだというのです。このありさまを表したのが曼荼羅(まんだら)です。この曼荼羅の考え方によって、無数の仏さまはその存在の根拠がはっきりして、大日如来のもとに整理統合されるようになったのです。

こういうわけで、般若心経の語りである仏さまは、どうも歴史上のお釈迦さまではないようです。法身である仏が話していると解するといいでしょう。そうすれば、お釈迦さまの覚った「苦集滅道(くじゅうめつどう)」という四諦も、それは縁起の法則からいえば、そのものとしての実体はないのだ、といって良いことになります。
無苦集滅道(ムークージュウメツドウ)」と、その周辺のお話しはこのへんで終わりにしておきましょう。

※八正道――1.正見(正しい見方)、2.正思(正しい決意)、3.正語(正しい言葉)、4.正業(正しい行為)、5.正命(正しい生活)、6.正精進(正しい努力)、7.正念(正しい思念)、8.正定(正しい瞑想)。

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